2008年02月12日

先週の“ハイライ”ト



“ハイライ”というワードを聞くことは大分県では中々にない。記者の地元、大分県佐伯市の“佐伯んし”でも耳にしたことのない方がほとんどだと思うが、ハイライとはある料理名を短縮したもの。今回の講釈はジックリ煮込まれた牛タンがゴロリと入った一品の話。



ダークブラウンのドミグラスと、オフホワイトの生クリームが交差する様は巨匠が描いたキャンバスのよう。これ、スプーンで壊しても良いのだろうか…そんな妙な自分との葛藤から食事は始まる。



おもむろに投入したスプーンにドッカリ、ドローンと乗っかる牛タンとルウは迫力があり、そのキャパシティの多さを実際に感じ取ることが出来る。

これは最初からライスに乗っかっているより伝わってくるモノが違うから心して取り掛かって欲しい。食事は五感を使う“儀式”なのだ。



でっ、ライスとルウを同居させたら時間を置かずにすかさずバックリ。最初にくるのは鈍角な苦味とコクがトマトの酸味を抑えるように仕上がったドミグラス。

このような“ビタ・コク”な味わいは初めてで、誰もが“大人な”と表現してしまうのもうなずけるし、ライスと絡まったときの充実感はこの上ない至福のときで喰らう速度はとどまることを知らない。



ただ、記者が感じる“大人な部分”はそこじゃなく、ホロ・トロに煮込まれたワイルディー風味の牛タンにある。

ふつう、こういう料理に使われる肉は旨味をすべてルウに奪い去られているものなのだが、この牛タンはシッカリとそのフレーバーが閉じ込められており、ドッシリとした食べ応えとともに奥深い味わいだ。



また、食感も仄かに繊維を感じさせる仕上がりで、何を食しているかという自覚を常に促される。トロっと一瞬で消えてなくなるものは寂しさを禁じえないし、ストーカーのようにまとわり付くものは悲劇というほかなく、料理人の業(わざ)が優れていることを示す。

さて、是非ともこのハイライなる逸品を食してもらいたく、ここにご紹介した訳だが、くだんの謎掛けを放置したまま…。大阪ではハヤシライスをハイシライスと呼び、短縮したコードネームは“ハイライ”と称される。

もちろん、諸説あるが、実は記者は大阪生まれ。大阪の人間はボケたりツッコんだりの毎日でウソをつく暇などないが、大切なことは名前の由来ではなく、その味わいの実力だけ。丘の上のそのまた上に佇む安息地のハイライ…ぜひ一度お試しあれ。(おわり)



撮影場所 大分県大分市 レストラン・パパスダイナー


  

2008年02月11日

丘の上のそのまた上に佇む安息地



手頃、簡単、自由…現代人が求めている三種の神器で、容易なことでも手間をかけてしまおうものなら“こりゃダメだ”となる。一切の無駄をはぶき、スレンダーに仕立てられることが真理なのか。

遠回り、寄り道などの一見、無駄とも思える行為の中に、実はココロの余裕が生まれることを忘れてはいないだろうか。今回ご紹介するお店は、退屈な理(ことわり)には縛られない洋食料理、レストラン・パパスダイナー。



大分県大分市牧野口の決して分かりやすいとは言えない、その味を本気で求めた者だけが辿り着ける丘の上のそのまた上に佇む安息地。まあ、一度行けば間違えることはないが、それほど店主の自信と遊び心が見え隠れする場所にある。

テーブルにつくと、窓から臨むその風景は実に愉快。時間に追われ、生活に追われ、何かから逃げのびているかのような工業地帯や密集する家々…こちら側の空間は時間の流れがユッタリ、ユックリと感じられる。そう、ココはココロの体内時計を本来の流れにリセットしてくれる店なのだ。



さて、そんなココロの余裕が生まれたあと、最初に口にしたのはチャーチャースープ。シッカリと煮込まれたジャガイモやニンジンといった朴とつな野菜達にトマトの酸味がジンワリと染み込む。酸っぱさがまあるい上、塩梅も丁度良いからとても安心して頂くことができる。



不覚にも料理名に使われている“チャーチャー”の意味を聞き忘れたが、ボルシチを少しだけアッサリにした感じといえば味わいの輪郭が想像できると思う。ナノ単位でスープに残る野菜のザラ~リ感がとても田舎チックで、味噌汁を日本の母親の味とするならば、こちらはロシアのマーチ(母)の味といったところか。ベリーマイルディーな仕上がりは他の料理への期待感を高める。



もちろん、一緒に頂いたサラダもクール、クリスプ、クリーンの3Cが備わっており、雑味のないドレッシングとともに抜かりのなさを感じさせることは言うまでもなく…アナタも、この丘の上のそのまた上の安息地に足を踏み入れられてはどうだろう。手頃、簡単は手に入らないが、“自由”という名のココロの開放感を味わえることはまず間違いない。(つづく)



撮影場所 大分県大分市 レストラン・パパスダイナー